3・11とヒロシマ <下> 原水禁運動を研究する元中学教諭 丸浜江里子さん
「脱原発」の声 共振に期待
今春、初めての著書「原水禁署名運動の誕生」(凱風社)を刊行した。1954年3月、太平洋ビキニ環礁で米国が水爆実験。第五福竜丸が被災し、汚染魚の水揚げなど放射能被害が広がる中、原水爆禁止の署名運動が沸き上がったドラマを描き出した。
57年前に重ね
出版直前に東日本大震災と福島第1原発事故が起きた。「57年前の水爆実験で、日本中の人々が吹く風、降る雨に放射能を心配した。当時の人の思いを今、実感する」。高まるノーモア・フクシマの声に、研究でたどった署名運動の息吹が重なる。
自らが暮らす東京都杉並区が運動の発信地だった。「一日も早く安心して魚が食べられるよう、原水爆を禁止してください」。地元の鮮魚商の叫びが、女性団体や区議会を連鎖的に動かした。「杉並は戦前・戦中に消費組合(生協)運動があり、戦後もそのネットワークが生きていた」。戸別訪問による署名集めに主婦らが奮闘。爆発的に全国へ広がり、1年余りで3千万筆を超える署名が集まった。
「人類の生命と幸福を守りましょう」。スローガン「杉並アピール」の主張は政党色を排し、シンプルだった。「安全な空気、水、食べ物は生きていく上での基本。それを求める訴えは普遍的なもの」。福島原発事故でも食品汚染の恐れは現実化している。「脱原発の訴えも党派を超え得る」と強調する。
署名運動は、52年まで続いた米占領下の検閲で抑えつけられていたヒロシマ・ナガサキへの関心も呼び覚ました。55年8月、広島で第1回原水爆禁止世界大会が開かれる。
「ヒロシマの意味を受け止め、行動する人々が世界中に広がった。今、フクシマを受け止めようとする人々が続き、既にイタリアやドイツを脱原発に導いている」。国境をも越え得る、人々の声の共振に期待する。
無関心が支配
原水禁運動研究のきっかけは、中学教諭を退職後、杉並区の教科書採択をめぐる問題に直面したことだった。従来の歴史教科書を「自虐的」と批判する学者らが作った歴史教科書の採択に反対する運動に参加。「市民運動の面白さも難しさも味わった。杉並の気風と市民運動の歴史を学びたくなった」。明治大大学院に入り、署名運動をテーマに据えた。
関係者への聞き取りを重ね、各家庭に眠る資料を地道に調べた。励みになったのは女性の活躍ぶり。「選挙権もないまま戦争に協力させられ、食糧難の苦しみを知る女性たちが、もうあの時代には戻らせない、と声を上げた。主権者意識の目覚めが運動の原動力になった」
ひるがえって、原発推進の国策を容認して大事故を招いた現状に、主権者意識の後退を感じる。「日本は、核実験を続けながら原子力の平和利用を唱える米国の戦略に追従する形で原発を導入し、核の傘に収まり続けている。被爆国の民衆が思い描く像とは違うはずなのに、諦めや無関心が支配してきた」
声は、上げなければ響き合うことはない。しかし、「今、ヒロシマとフクシマが互いに声を上げ合えば、共振の力は計り知れない」と確信する。(道面雅量)
まるはま・えりこ
1951年千葉県生まれ。公立中学の社会科教諭を経て2004年、明治大大学院に進学。06年、原水禁署名運動の研究で平塚らいてう賞奨励賞を受けた。
(2011年8月5日朝刊掲載)