2008年12月3日水曜日

田母神・前空幕長の更迭で幕引きにしていいのか

 田母神俊雄航空幕僚長更迭について、『昭和天皇』でピューリツァー賞を受賞したハーバート・ビックス氏が、ネット雑誌『Japan Focus』に投稿した記事を翻訳しました。本記事の原著作権はハーバート・ビックス氏にあり、日本語版の著作権は凱風社にあります。

 本翻訳はハーバート・ビックス氏の許可を得て、ネット掲載を条件に翻訳掲載するものです。紙媒体への使用は別途許可がないかぎりできません。


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田母神・元空幕長の世界観
──自衛隊トップがふたたび歴史論争に火をつける
ハーバート・ビックス

 2008年10月31日、田母神俊雄(たもがみ・としお)航空幕僚長が突然更迭された。ところが防衛省の罷免処分はなく、年金も全額受給できる定年退職扱いとなっている。この数か月前に、元幕僚学校校長の田母神は記者会見で、イラクにおける自衛隊の活動を憲法違反だとした名古屋高裁の判決[1]を否定した。あけすけな物言いと挑発的言辞でタカ派のあいだで名の知れた元将軍はこのとき、ほかにもいくつか越えるべきでない一線を越えて発言している。

 田母神航空幕僚長は、APAグループが主催した懸賞論文コンテストにエッセイを送り、最優秀賞(賞金300万円)を受賞した。APAグループは建設・不動産・ホテルチェーンを経営するスキャンダルまみれのコングロマリットで、募集テーマは「真の近現代史観」だった。APAグループの元谷外志雄(もとや・としお)代表は、歴史に関する著作があり、小松基地(石川県)との親睦を目的とした「小松基地金沢友の会」会長だ。元谷は安部元首相をはじめとする右翼政治家(田母神を含む)と関係が深い[2]。現在わかっているかぎり防衛省の上層部は田母神のエッセイやそのほかの自衛官が提出した94本のエッセイを精査していない。エッセイの審査にあたっては、悪名高き南京大虐殺を否定する渡辺昇一・上智大学名誉教授が審査委員長を務め、募集にあたって「独立国家として正しい歴史理解に向かうよう日本を導く」論文の提出を求めた[3]。


◆APAグループのウェブサイト(懸賞募集)


 田母神航空幕僚長の歴史観は、防衛省の文官トップの公式見解と矛盾する。田母神は、日本の植民地支配は人道的かつ合法的であり、第二次世界大戦で日本の行動は侵略ではなかったと主張する。この主張は憲法の精神に反し、戦前・戦中に日本が侵略した国々に謝罪するという政府見解を否定することになる。同時に田母神は、大部分の日本人知識人と政治感覚を争おうとしている。

 中国政府と韓国政府はただちに田母神航空幕僚長の歴史観を批判し、国内では野党第一党が麻生政権に解散を迫ろうと田母神批判を続けた。麻生太郎首相の歴史認識と憲法認識はほとんど田母神と変わらない。麻生首相は田母神を解任したが、自分自身の考えは明らかにしない。しかし強情で知られる田母神は自説を譲らず、日本人は「間違った教育」によって自国の歴史は暗黒だったと信じ込まされてきたと、繰り返した[3]。

 自衛隊を憲法の束縛から解放したいと熱望する田母神は、多くの現役航空自衛隊将校に対してこの懸賞論文に応募するよう薦めていた(内容はわからないが)。応募数は少なく見積もっても50人超から最大では95人と見られる[4]。これらの航空自衛隊員は、かつて1930年代に日本の軍備増強と海外拡張を強く主張し、「昭和維新」を称揚した「若手将校」の現代版だという印象を受ける。違いがあるとすれば、現代の制服組がシビリアンコントロール(文民統制)に服していると考えられる点であり、平和憲法に対する思想的反乱ではない点だ。しかし注意しておかなければならないのは、防衛省の文民トップのうち六人は、田母神とその部下を軽く叱責しただけであり、当初は懲罰をためらったことだ。

◆2008年8月8日、米国戦没者記念碑に花輪を献じる田母神航空幕僚長(当時)

 「日本は侵略国家であったのか」というタイトルの田母神のエッセイを要約すれば、その主張は次のようにまとめられる。

●日本の植民地統治は国際条約に基づく「極めて穏健」なものであり、朝鮮半島、台湾、満州を日本本土と同様なレベルで開発しようとした。国際法上合法的に手にしたこれらの地域における権益を守るために、日本は正当な戦争を続けた。

●満州国では日本軍と現地の人々は生活向上を目指して協力した。日本の満州占領に先立つ、1928年の張作霖列車爆破事件は、ソ連情報機関の資料によれば、関東軍の仕業ではなくコミンテルンがやったという説が有力だ。

●日本は、1931年に始まる日中戦争で国際法には違反していないし、その10年後の、東南アジアの欧米植民地や太平洋における戦争でも、国際法に違反はしていない。

●人種差別を前提とする欧米植民地と異なって、満州国は日本国内と同様、各民族に寛容な国だった。

●日中戦争では、コミンテルンと中国共産党が謀略で蒋介石を操って日本を攻撃させた。

●フランクリン・ルーズベルト大統領は財務次官のハリー・ホワイトのようなコミンテルンからのスパイの助言に従って、日本に真珠湾を攻をさせるよう罠を仕掛けた。ホワイトは日本に対する最後通牒ハル・ノートを書いた張本人とされ、「大統領を動かし、我が国を日米戦争に追い込ん」だという。

●「もし日本があの時大東亜戦争を戦わなければ、現在のような人種平等の世界が来るのが」遅れていたかもしれない。じっさい、大東亜戦争がなければわれわれは「白人国家の植民地である日本で生活していた」かもしれない。

 要するに田母神は、「この国が実施してきたことは素晴らしい」と言いたかったのだ。エッセイの終盤で田母神は、自衛隊に対する多くの制限を例に挙げながら、集団的自衛権が行使できるようにすべきだと強調している。集団的自衛権の行使とは、同盟軍が攻撃されれば自衛隊が救援に駆けつけることを意味し、そこには明らかに憲法改定が含意されている。

 そう、田母神にとって真実か虚偽かが問題なのではなく、「普通の」(戦争のできる)国になり、現役将校の発言力が高まることが重要なのだ。田母神は事実を改竄し、都合のよい証拠だけを採用し、国際法についても自分の目的に合致するものだけを採用している。そのうえ田母神は、1930年代から40年代初頭にかけてアジアで生じた日本人を含む非戦闘員の死者と兵士の戦死者の数に言及していない。田母神の狙いは、「本当の」歴史観を偽造し、田母神が関心を持つ特定の歴史の事実性は問わずに、政治論争に関与する一連の活動家将校を鍛え上げることだ。

 しかし田母神の主張には、どれをとっても目新しいところはない。過去半世紀以上にわたって政府高官や自衛隊将官は、たびたび国内外で問題発言を重ねてきた。たとえばそれは、戦争責任問題についての二枚舌的説明であったり、田母神の主張のように、意図的か否かにかかわらずびたび繰り返されてきた粗雑なナショナリズムだ。こうした発言は、かれらの知的水準の低さを反映している。またこうした発言は、国内では政治論争を誘発し、中国や韓国を初め日本の占領支配を味わった国々では日本への不信感を生み出している。一方かれらの主張は、国内では軍国主義への警鐘になっている。残念だが、日本の安全保障のパートナーである米国から、そうした日本の政策への関与はほとんどない。米国が繰り返す正義の戦争とかたくなな軍事優先主義は米国民の日常生活を歪め、国際秩序を蝕んでいる。

 では、われわれは田母神の歴史認識についてどのように考えるべきか。田母神は歴史や国際法を無視している。たとえばサンフランシスコ講和条約(1951年)や国務長官コーデル・ハルのメモ(1941年11月26日付)のような情報源や証拠類を田母神は誤って理解しているが、こうした無知や誤解についてはここでは論議の対象としない。軍事的にもまた思想面でも敗北した1945年以降の日本で米国と連合軍によって傷つけられた自尊心が、田母神の考え方の背景にあるのか。あるいは、日本は植民地主義と侵略によって多くの不法行為と数限りない犯罪を犯しているが、こうした事実を受けとめられないからなのか。20世紀を通じて日本ばかりでなく米国やその他の国も戦争をしている。こうした戦争の分析評価をするなかで、偽善とダブルスタンダードについて考えてみよう。

 1945年、米ソ主導の下で戦争犯罪人を裁くための法的名称と裁判手続きの原則が定められた。東京で開催(1946-8)された極東国際軍事裁判(以後「東京裁判」)では、少数の日本人指導者が、侵略の罪や狭い意味での戦争犯罪で起訴され処罰された。しかしこのとき、欧米諸国や日本の植民地主義は裁判の対象となっていない。米国は日本の64都市に対してテロ爆撃を敢行し広島・長崎を核で破壊したが、こうした破壊で頂点に達した連合国側の戦争犯罪もまた、けっして裁きの対象とはならなかったのである。東京裁判では、米国人と日本人の弁護人がこれらの問題を提起しようとしたが、即座に却下された。

◆極東軍事裁判。左が判事席、右が弁護人席、被告は後ろ側

 さらに米国は戦後、英仏蘭が旧植民地の独立運動を潰してそれぞれの植民地再建を目指す戦争を援助した。こうした植民地国家は、日本の侵略を裁く側にいて文明を擁護すると称しながら、その一方で自らは日本と同様の犯罪を犯し続けていたのだ。

 日本人のなかには、こうした欧米の偽善は許すことができないし忘れることもできないとする保守派がいる。彼らにとって、すべてが歪められた日本近代史は東京裁判に発するとし(「歴史教科書」や「勝者の押しつけ」)、東京裁判における日本人被告への尋問は公正でなかったとする。1952年に米国の占領が終わり日本がふたたび独立したとき、一部の日本人は東京裁判の否定的側面のみに着目し、多くの肯定的側面には目を閉ざして東京裁判の受け容れを拒否した。このときからかれらは東京裁判に異を唱えた3人の裁判官のうちの一人を評価し理想化し始めた。それがラダビノード・パール判事だ。インド人のパール判事は民族主義者であり、日本軍の支持をうけた反英パルチザンのシンパだった。パールは日本の戦争指導者に対する侵略の罪による告訴を却下し、すべての罪について無罪とするよう求めた。パールにとって、アジアの真の敵は欧米の白人だった。以後、日本の右翼の基本的主張として東京裁判の判決を否定することが定着している。しかしこうした右翼の考え方は、日本人戦争犯罪人の起訴に際して勝利国が基本的な間違いを犯したことに言及してはいない。基本的間違いとは、第一に植民地主義を裁かなかったことだ。第二に、日本人戦争指導者のうちただひとり、戦争期間を通して一連の決定の中心にいた天皇を起訴しなかったことだ。天皇に忠節を尽くした臣下のうち何人かは天皇の責任を引き受けて処刑されたり拘留されたが、天皇自身は尋問されることもなく、また、戦争の道義的責任を負わされたこともない。

 日本の植民地支配を擁護したり、20世紀初頭の日本近代史に関する極右思想に共感するのは田母神だけではない。しかし現実には、現在の日本社会で極右思想を広げるには、まず小中学校や大学でそうした教育がなされなければならないし、ジャーナリストや作家やオピニオン・リーダーがその種(たね)を有権者という大地にまかなければならない。そうでなければ、憲法を擁護するという現在の政治社会状況は克服できないはずだ。こうした状況は現実のものとなってはいない。田母神の更迭を報じたある社説によれば、1931年から45年にかけて日本が行った侵略戦争について日本人の大部分は正しく理解している。靖国神社とその歴史博物館を連想させる主張や、ここに紹介した田母神のエッセイのような考え方は、日本の政治文化の主流ではない。

 にもかかわらず、戦争をどう記憶するかについての有権者の意見は分裂している。政権政党の自民党には麻生首相も含めて、田母神の浅薄なナショナリズムと意見を共にする政治家が多い。フジ産経グループ系の執筆者も同様だ。しかし、東京裁判の判決を正面から拒否したり、集団的自衛権(憲法違反だが)を行使すべきだと主張するような、議論が分かれる大問題について、これらの人々の大部分は公的発言を避けている。

◆靖国神社を練り歩く元兵士

 もしもこれから10年以内に、田母神のような歴史認識を確信する人物が政界のエリートやその周辺で主流を占めるようになったらどういうことになるだろう。そのとき日本は過激な外交を展開するのだろうか。類似の例がある。米国のネオコンとネオリベラルは、自分たちの考えを30年以上かけて磨き上げ、ジョージ・W・ブッシュ大統領の政策の中にその究極の理念を実現した。同じようなことが日本でも起こるのだろうか。

 田母神は、日米安保への関与を減らしたり、アジア諸国とのきずなを弱めたりすることには関心がないという。そして日米関係を親子関係に例えて、軍事的スーパーパワーの米国は「親」で、日本は「子」だという。田母神と考え方を同じくする自衛隊の将校たちは、この「親子」関係をさらに釣り合いのとれた関係に変えることができると考えている。彼らは、緊急事態に直面した飛行機が積み荷を機外に投下するように、緊急事態には文官で成り立つ防衛省「防衛政策局」を飛び越して、「大部分の制服組」が防衛相の下で部隊を直接指揮すればいいという[5]。

 しかし安全保障に関する日米関係の真の問題点は、日米安保が日本の政治制度の動脈に注入される毒物だということであり、憲法の理想を実現しようとする日本人の努力を絶えず弱めていることだ。第二次世界大戦と冷戦の遺物である日米安保が残るかぎり、日本が平和国家であり続けることは難しいし、先の戦争の犯罪性に対処しつつ、対米偏重の外交から方向を変えて多元外交を展開してゆくことは難しいだろう。安保と直面せずに平和憲法九条を守ろうとしても、それは田母神やその同調者を助けていることにしかならない。

 最後にもう一つ考えてみよう。日本で軍国主義が力を得て憲法の抑制が外され、「普通の」(戦争ができる)国として攻撃兵器システムを手にした場合、そうした日本を米国防総省高官が本当に歓迎するとは、とても考えられない。逆に、もしも近いうちにイラクとアフガニスタンで、「親」が失敗した植民地戦争をエスカレートさせて、日本をさらに深く巻き込もうと圧力をかけてきた場合、日本の政治指導者がどう対応するかははっきりしない。しかし社民党党首の福島瑞穂は、米国の戦争に協力して広がる自衛隊の役割と「防衛省内で、戦時中の日本の行為は侵略ではない」という考えが広まっていることには関連があると指摘した[6]。この指摘は正鵠を得ている。

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 ハーバート・ビックスは、ピューリツァー受賞の『昭和天皇』(Hirohito and the Making of Modern Japan、講談社学術文庫)の著者。ニュヨークのビンガムトン大学で教鞭を執る。戦争と帝国について著書多数。ジャパン・フォーカス会員。

 この記事は2008年11月9日にジャパン・フォーカスに投稿された。

【注】
※ガバン・マコーマックならびにマーク・セルデン両氏が、本論に関する資料を送ってくれた。ここに謝意を表する。

[1] 『朝日新聞』(2008年4月19日)

[2] Roy Berman, “Gen. Tamogami Toshio, Motoya Toshio, and Abe Shinzo,” Mutant Frog, November 4, 2008.
 ロイ・バーマンは、アパ・グループの元谷代表が安倍晋三元首相が非常に親しいことや核武装論者であること、また、元谷がペンネームで書いた歴史に関する著作の内容や、元谷と航空自衛隊との関係などを詳細に報じている。『毎日新聞』(2008年11月1日)も参照。

[3] Jun Hong, “Axed ASDF chief hawk till the end; no apology,” The Japan Times, Nov. 5, 2008.

[4] 「政府は航空幕僚長の言動に責任を負う必要がある」(The Mainichi Daily News, Nov. 8, 2008、AP)、「防衛相、航空幕僚長の論文で給与の一部返還へ」(Bereitbart.com, No. 4, 2008)、「戦時中の亡霊――歴史論争再び噴出」(Economist.com, Nov. 5, 2008)

[5] Shingetsu Newsletter No. 1191, News Analysis, posted Nov. 1, 2008.

[6] Kyodo News, “Beijing, Seoul rip ASDF chief essay,” The Japan Times, Nov. 2, 2008.